あややとユーミンの話で作詞について思いついた事
ベビメタのまとめブログで発見したエピソード
曲とか詞を書くっていうのは、もう生活、生理、いっしょだから、食事したり歩いたりすることと。言われる前から書いてるのよ、人が止めようと、勧めようが、勧めまいが。自分の欲求として、もう幼い頃から作っちゃっている。もちろん、ある日突然、書きたくなって、自分で書いたものを、自分の言葉を歌いたくなって、ひらめいちゃって、ってことはあるかもしれないけど、書いて歌うようになりたいんです、って言っているようだったら、書かない方がいいと思う。だって、同じだよそれは、人が作ってきたものでも。ためを思って作ってきてくれたんだから、あややはこうだ、って。それを表現できることの方がスゴイと思うね。
これはわかるなーって思うところがあって
それで思い出したのがcoccoの活動休止時のうんこ
悲しいこととかがいっぱいになったときにそれを歌で出したら、人はそれをいいというけれど、こっこにとってそれはうんこなわけ、ただの。嫌なのだから排泄しないといけない。排泄行為を人はいいといって、だからもうそれがどうしていいかわからないだったわけ。だけど、ある日、ハッ!歌好きだって気付いてしまったわけ。その瞬間にうんこじゃなくなったわけよ、うんこが。ハッ!辞めないといけないと思って。なんでかっていったら、みんながこっこにうんこを求めていたから、歌はうんこじゃなくなっちゃったから、私うんこで商売できませんと思って、辞めた
活動再開した時、痛いくらいの表現だった歌詞が変わったもんね。
初めて知ったのが強く儚い者たちで雲路の果てが初めて買ったcoccoだったんだけど
この目さえ光を知らなければ見なくていいものがあったよ とか当時衝撃だったなー
吐きださずにはいられなかった人として思い浮かぶのが神聖かまってちゃんのの子
曲は日記と言っていて、作曲やPVを公開するのを趣味と言っている。
本人が作ってyoutubeにあげたPVとかデモは広告もない。儲からない。レコード会社と契約すると普通は権利が絡んで作った本人でも勝手に公表したりしちゃいけないものらしいんだがの子は譲らなかった。
アーティストって音楽が全てとか、ないと生きていられないって言う奴いるじゃないですか。でもの子は知る限りでは言ったことないんですよ。でも周りが言う。音楽やってなかったら生きるの厳しいとか、の子に音楽があってよかったとか。
だって他の人生選択肢がバイトか引きこもりだもんw
の子には死にたい時期が繰り返しくるけど頭の中に音楽が流れてくると俺にはこれがあるって思えるらしい。の子に音楽があってよかった。
ぺんてるの歌詞が凄い。
何が言いたいの?って思った人は「ぺんてる」は駄菓子屋、おばちゃんはその店主、の子はいじめを受けていて死にたかったが死ねなかったという情報を知って貰えると少年時代の絶望と生きようとする切なさ伝わると思う。
松本隆は詞の中に短編小説がある感じ。
悲恋つーか、根暗な感じが好きです。褒めてます。
藤井隆の素肌にセーターとか良い
子ども心にルビーの指輪も好きだった。
実はこのルビーの指輪最初に聴いたのがバライティで歌ってた堂本剛だったっぽい事を個人的な最近の堂本剛ブーム思い出す。
ぐぐったらあったよw
埠頭を渡る風とか
destinyがいい。
スピッツの草野さんは詩人だなーと思う。
すごくストレート何だけど包み方というか飾り方が巧い。声とかメロディの効果もあると思うけどもう比喩が天才的。
8823もグッとくるが猫になりたいがもうたまらん。
バスの揺れ方で人生の意味わかったり、うめぼし食べたかったり、おっぱいは世界一だし、いいわー
逆に表現者やエンターテナーとして歌に徹する人も好きだよ。
感情とか個性を出してる人がいい。
とにかく歌をうまく見せたいだけみたいなのはつまらん
Perfumeは感情、個性とは遠いけど彼女たちが音楽のパーツだからいいと思う。
歌を聴かせるための音楽じゃなく、音楽のための歌って感じで。
あの世界観をちゃんと表現してる。